深情不悔
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「よく知りもしないで、けなす」ことこそがースなのかも知れない。
では、これからは、よく知ったうえで、けなせばよいということか。
デキないで、けなすのは、イソップ物語の「酸っぱい葡萄」。
負けず嫌いで、でもデキなくて、でも負けを認めたくなくて、悔しい想い、マイナス感情の持って行き先に困って、もやもやしている人が、「デキない事柄」をけなしたり、否定したりして、自分のマイナス感情を消去する。
では、デキて、けなすのは?
やはり、「けなす」という行為そのものがよくないようだ。
では、けなさず、なんでもかんでも肯定、賛同する?
そういう、無条件にすべて賛同してくれる人に賛同されると、はたして認められた気になるかどうか?
「けなす」は、ケチをつけること。
「否定」が根底にあるのだろう。
ハナシは、ごろりと変わる。
わたしの年齢、見かけで、「初対面の人とお会いする」と仮定する。
当然、よほどの何か、大きな取引や儲け話でも持ちかけない限り、なんの魅力もインパクトもない。
ましてや、男性であれば、ご縁があるのは、うら若き女性、妙齢の美女が好ましい。
しかも、わたしは、典型的日本人。
自分をアピールしない。
(日本じゃないんだから、当然ながら、もの言わなけBand1中學れば誰も自分をわかってくれないのに)
この年齢、容姿、語学力、発言力で、なんのアピールもしないと、誰の目になど映らないであろう。
ふと、わたしと接していたにもかかわらず、わたしのことなど、目に映っていなかったと思われる人々、シーンが、目に浮かんだ。
それはそれで、当たり前、べつにショックでもなんでもない。
わたしは、自分というものをとても客観的に見ている。
なにも特徴のない、人になんの働きかけもしないで、まして、自分がなぜ、そこにいるのか、なぜ、その人と対面しているのか、
そういう説明もなく(仮にあったとしても、興味を抱かれな白鳳丸功效いと思うが)
そんな自分をアピールすることは、よほどのシチュエーションや熱意、意図がないと無理だろうと感じる。