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深情不悔

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誰の意向が

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誰の意向が


何から書き始めたらよいのでしょうか。
 とにかく、ひどい目に遭いました。しかし、その時のことは、今も強烈な印象となって心に焼き付いています。
 今からちょうど一週間前のことでした。我々五人は、三日間の予定で、カミナワ族の集落から北東へ二、三十キロ離れた地点までフィールドワークに出かけました。五人というのは、蜷川教授、赤松助教授、森助手、カメラマンの白井さん、それに僕です。
 専門も興味も違う五人が、どうして同じ場所に出かけるのかと思われるかもしれませんが、ジャングルの中で単独行動はできませんので、班の中でお互いに行きたいところを話し合い、折り合いをつけることになるわけです。(最終的に通ることが多いのかは、言うまでもありません)
 我々は、二艘の船外機付きのゴムボートに分乗して、ソリモンエス川の源流の一つであるミラグル川を遡っていきました。蜷川教授が、カミナワ族から、ミラグル川の上流に古代文明の痕跡らしきものがあると聞いたためです。また、このあたりは、絶滅に瀕しているアカウアカリとシロウアカリの生息域にも当たっているため、森氏にも否やはありませんでした。
 ところが、十年ほど前にミラグル川の調査が康泰なされたときとは、川の流れがすっかり変わってしまっていたのです。後でわかったのですが、うねうねと蛇行していた流れの一部が切り離されて小さな湖となり、川の流れは別の位置にショートカットを作っていたのでした。
 このため、上陸すべきだった地点を見過ごしてしまい、道を間違えたことがわかったのは、かなり行きすぎてからでした。
 すぐに引き返せばよかったのでしょうが、蜷川教授は、強く上陸することを主張しました。そこから見える小高い丘の地形が、カミナワ族の話にあった古代の遺跡によく似ていたらしいのです。さらに、周囲の地形を調べると、ほんの五十メートルほど離れた場所に別の川の流れがあることがわかりました。その流れは、丘の方へ続いています。我々は、そこまでゴムボートを移動させ、さらに遡ってみることにしました。
 アマゾンには、本流以外にも無数の小さな川(とは言っても、利根川や信濃川クラスはざらですが)が集まっています。それら網の目のように張り巡らされた源流、支流は、水の色によって『白い川』、『黒い川』、『緑の川』の三種類に分けられます。
 ミラグル川や下流のソリモンエス川などは典型的な『白い川』で、実際には、黄河のような黄褐色の濁流です。『白い川』は別名『肥えた川』(リオス?ファルトス)といい、中性ないしは弱アルカリ性で、豊富に栄養塩類を含んでいます。このため、魚影も濃く、多種多様な生物が暮らしています。
 これに対して、『黒い川』は、ちょうど薄いコーヒーのような色合いです。
『黒い川』の上流には、必ず浸水林(イガッポ林。バルゼアと違い、一年中水没している森)があり、大量の落葉が川に降り注いでいます。ところが、栄養塩類に乏しい土地に生育する植物は、草食動物による食害を防ぐために、葉に自己防衛のための物質を蓄えます。つまり黒い色は、落葉から溶け出したタンニンやフェノールなどの有毒物質の色なのです。その上、強酸性で栄養塩類に乏しいこともあって、『黒い川』にはほとんど生き物が棲めません。このため、『黒い川』は、『飢餓の川』(リオス?デ?フォーメ)とも呼ばれています。
(『緑の川』は、透明度の高い中性の川らしいのですが、残念ながら、実物を見たことがないのでよくわかりません)
 我々が発見した新しい川は、『黒い川』のようでした。
 それを実感したのは、数時間遡ってボートを下り、夜営のためにテントを張ってからのことでした。
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